3000年以上の長い歴史を持ちながら、現イスラエル共和国としての歴史は戦後に始まったばかり。
世界中に離散していたユダヤ人が帰還して、建国されたのが現在のイスラエルです。
そうであるがゆえに、その地を追われたパレスチナ人との間に紛争が絶えず、HEAVENESEがイスラエル入りしたのも、パレスチナ自治区で あるガザ地区との間の争いにようやく停戦合意がなされた直後のことでした。
停戦合意がなされた後、一ヶ月半は大丈夫だろう、でも其の後はどうなるか・・・
という現地の人からの前情報。
そんな一ヶ月半後、HEAVENESEはイスラエルに降り立ったのでした。

しかし、エルサレムはガザ地区からは遠く離れているということもあり、紛争のあったことなど微塵も感じさせないほどの平和で美しい歴史に彩られた街がメンバーを迎えてくれました。
旧市街の黄金のドームは夕日に輝き、ライトアップされた城壁はまるで、映画のセットかテーマパークのようです。

2014年10月20日

かくしてこの日、HEAVENESEは初めてイスラエルの人々の前に立つこととなりました。
その舞台は、ジャパンカルチャーウイークのレセプション。
当初は参加予定ではなかったこのレセプションに、参加以来がきたことで、スケジュールを前倒ししてイスラエル入りできるメンバーのみの参加となりました。
会場は、西エルサレムのファーストステーション。
かつて存在した鉄道の駅の跡地を利用した歴史的な場所は、文化や娯楽の中心地。
ここがエルサレム市が歴史上初めて主催したカルチャーウイークの初年度、
ジャパンカルチャーウイークのメイン会場です。

この日のレセプションは招待客のみのために催されたものです。会場は白い幕で仕切られ、一般の人々は入場できないようになっています。
日本からは小錦も招待されていました。
ちょうどマレ&久美子が会場に到着した頃は、小錦がサウンドチェックをしていました。
何を?むろんハワイアンです。日本文化にハワイアン?そうですね・・・小錦は元関取ですから。

会場にはユダヤ教の戒律にのっとった製法で作られた日本酒や寿司バーなど立食形式です。
日本から外務省の 方も駆け付けスピーチ。エルサレム市長のメッセージ。司会は前駐日大使のエリ・コーヘン氏です。

コンサートではなく太鼓演奏を。
主催者からの依頼に答え、HEAVENESEは、レセプション用の短いセットを披露しました。
尺八が和のテイストでイスラエル民謡を奏で、担ぎ桶太鼓のソロ。今回太鼓のマコトが参加できなかったため、急きょドラムイッキが、ルーさんとの担ぎ桶デュオに挑戦。

The we all played

そしてメンバー全員でHEAVENESEコンサート定番の全員太鼓3N1。
途中のかけ声はも ちろん「エル・シャライム(エルサレム)!!」

中に入れない多く の人が、白い幕の外から背伸びをしてのぞいていたり、小さい子がお父さんに肩車をしてもらいながら中を一生懸命観ようとしていたり・・・
レセプション会場の外に溢れる多くの人々の姿にメンバーたちは感動してしまいました。

短いパフォーマンスでしたが、終了後すぐにマレは地元メディアに囲まれインタビューに答えます。
すると主催者から「もう一度やってくれ」とリクエストが。
レセプションでの 一度だけの演奏しか考えていなかったメンバーには想定外のリクエストでした。
太鼓チームではないので、全員で演奏できる太鼓の曲もないし、バンドのセットアップもしていないし・・・なにをやろう・・・

すると以前よりも 参加者の人数が増えていることに気づき、「さっきのパフォーマンスを観ていない人が多いだろうから、同じことをやろう」ということで、基本的に同じセットを再び。

あっという間のパフォーマンスでしたが、二度目の終演後も、再び別のプレスからの取材。
しかし今夜は、あくまでもレセプション。HEAVENESEの演奏後も、粛々とプログラムは進行していきました。
それでも多くの方々が興奮して声をかけてきてくれました。
「これは、ただのプレゼンですよ。コンサートにぜひ来て下さい」

そんな言葉を発しながら、実際のコンサートに人々が来てくれるのか、期待と不安を胸に抱きながらHEAVENESEのイスラエル初パフォーマンスは終了したのでした。


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